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No.65
2010/02/12 (Fri) 05:19:19

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 何もかもヤル気になれなくて、その日私は夕飯を食べた直後、寝る気満々でベッドに横になっていた。まだ時間は八時過ぎで、当然のように眠気はやって来なくて、考えたくも無いことばかりが頭の中を巡って、不機嫌が増すばかりで。
 腹立ち紛れに枕を投げてみても、ちっとも治まらない。投げた枕を自分で回収しなくてはならなくて、それが逆に気分を刺々しくさせる。
 あの人は、一体何なのだろう。
 私の気持ちを引っ掻き回す相手、高橋健。
 鈍感で、ガキで、自分本位で、こっちの気持ちに気付かないだけならまだしも、私を傷つけて止まない。
 考えれば考える程、憂鬱になる。あの日の事を思い出すと、涙が出そうになる。こんなに脆い私は知らない。
 だからもう嫌だって、何も考えたくないって、布団に入った筈なのに眠れない。
 悪循環。
 本当はどうするべきかは分かっているけど、もうあと一歩が踏み出せない。
 私がそんな風に布団の中で悶々としていると、十時を示す携帯のディスプレイが闇の中で光り出した。ロッキーのテーマ曲のオマケ付だ。
 私から見た彼女のイメージの着信音は、中々鳴る機会が無い。羽田から電話がくるなんて、滅多に無い事なのだ。
 とても誰かと話をする気分ではなかったけれど、よっぽどの用件なのかと受話ボタンを押す。
【菅野!?】
 瞬間、怒鳴り声。まだ耳を近づける前で良かった。
「……なに怒ってるの、羽田」
【そりゃ怒りたくもなる! アンタ、アレねぇ……】
「はい」
 彼女の物言いに、何故だかベッドの上で正座をしてしまう。
 大きく息を吸い込む気配が電話口からする。私も我知らずそれに倣う。
【高橋は、やめた方がいい!!】
「……は?」
【マジで! アイツはほんと、ただの馬鹿だよ!! 仮に付き合ったとしてみ? アイツに振り回される事必至。間違いない!! 大体奴に菅野は勿体無いっていう話――】
「あの羽田、何なの一体」
 一体彼女は何をいきり立っているのか。普段から彼女の沸点は低い方だけれど、尋常じゃないぐらい怒っている。
【いいから、聞け? マジね、あの鈍感ありえないから。何回相談に来ても意味ないから、アイツ】
「……相談?」
【そうそう。それがちっとも進歩しないんだわ。謝る謝らないの話じゃねぇから、まず菅野の気持ちを考えろっつってんのに「皆の前でキスしたのが悪かった」しか言わないんだよ。そんなんでここまで無視って今時あるかっつーの!!】
「……羽田に相談、してるの? あの、高橋が?」
【そうだよ。ったくあのカス、全く分かってない。小学生だってもうちょっと勘が働くんじゃない?】
 羽田の言葉を意識したのはそこまでだった。そこからは申し訳ないけれど、彼女の話は右から左。
 私はただ、高橋が羽田に相談しているっていうその一点だけに思考を奪われてしまっていた。
 だって、あの高橋だ。
 面倒事が嫌いで、あまり物事を深く考えたり追及する事を知らない。自分の興味が向く事にはとことんなくせして、こっちが振った話に興味が無ければ、おなざりに相槌を打つこともしないで無視とくる。
 そして相談相手が羽田だ。
 彼女は確かに今一番私の心情を推し量れるだろう。彼女はこちらの事情の全てに明るい。抜きん出た洞察力と刑事並の推理力、冴え渡る勘、すべての能力を遺憾なく発揮して、こちらが言葉にしない事全てを把握してしまう。
 けれど彼女の性格は、とても相談の聞き役には向かないと思う。容赦の無い言動も然ることながら、やはりリスクが高いことが一番のネック。何がどう、ということではないのだが、言うなれば”タダでは済まない”のだ。
 頼もしくもあり、厄介な友人、それが羽田。
 多分この認識は友人一同共通だろう。
 今までの経験上、高橋が羽田に関わって何事も無く済んだ事は皆無だ。何時かの放送ジャックも羽田の言動に乗せられて、結果職員室で説教を受けた後に反省文を提出させられたらしい。バレンタインにはチロルチョコ一個を何十倍にさせられたらしい。高塚君が口をすべらせた事だけど、ホワイトデーの映画デートは羽田に券をもらったおかげだったが、一部始終をつけられていたらしく今でも時々からかわれている――勿論、高橋だけが。
 そんな経緯あって、羽田に相談するなんて手段に出るくらいなら、きっと高橋は「気の済むまで怒らせとけばいいや」でくると思っていた。
 こちらが折れなければきっとそれっきり。
 時間が経ってなあなあに元に戻るか、あるいはこのままお互いを知らなかった頃に戻るか。
 もうこれ以上傷付かなくて済むのなら、それもありかと考えた。このまま想いが風化していくのを、漫然と待つ――そうしたらもう、高橋に振り回されなくていい。胸が窮屈になるのも、痛むのも、悲しいのも、全部全部、無くなって――穏やかな日々を過ごせるのなら。
【――菅野、聞いてる!?】
「あ、はい聞いてます」
 不機嫌な声に促されて思わず返事をすれば、何故か敬語になった。羽田が不思議そうに【ならいいけど、】と挟んで言う。
【もうとにかく、このままバイバイかアンタが告るしか進展ないわマジ。時間経っても変わんない。ここでアンタが許して元に戻っても、また同じような目に合うの分かりきってる】
 散々怒鳴って気が済んだのか落ち着いた羽田の声に、うん、それ、今私も思ってたって心中で頷く。
【もう当って砕けちゃえ! そんだけ!!】
 言いたい事を言って満足したのだろう、三十分も電話をしていたくせに切るのは驚く程呆気無かった。
 というより砕けるの前提って、友達としてどうなんだ。彼女なりのエールなのだとしても、せめてそこはもうちょっと言い方を考えて欲しいものだ。
 自分の体温で生温くなった携帯を握り締めて苦笑が漏れる。
 それでも不思議と気分が軽くなったのだから、感謝すべきなのだろう。
 恐らく羽田との電話中に受信していたのだろう、メールが三通。
【佐久間です。高橋はただの阿呆ですが、一応あの子なりに色々考えているようです。愛想尽かすのはもう少し待ってやってくれると嬉しい。】
【理子ちゃん、こんばんヮ。あのね…高橋クンってすっっっっごく鈍感だケド!! 何かチョット憎めません。理子ちゃん、まだ高橋クンの事、許せない?】
【タケはお子様なので色々大変だけど、頑張って。応援してっから!!  BY 日向】
 皆揃って何なのだ。
 普段メールの遣り取りをしない日向くんまで。何だかんだ言いながら高橋を擁護しているメール。
 高橋なんてもういいやって背を向けようとした、このタイミングを見計らったみたいでおかしい。まるで私の弱気を悟ったみたいでおかしい。
 結局の所、高橋には期待出来ないから私が動けっていう事なのだ。
 私が踏み出さなければ事態は変わらない。例えその結果が、友達関係の維持でも、それ以外でも。

 ――逃げていては駄目だと、分かっていた。
 分かっていたのだけれど。

 何度目かの高橋のメールを無視してしまったのは、やっぱり怖かったから。
 向き合うのが怖かった。傷付くのが怖かった。
 何より、高橋の口から飛び出る言葉が怖かった。
 何を言われても自分は酷く傷付くような、そんな不安があったから。

 そして予想通り、屋上に連れ出された私はこれ以上無い位に打ちのめされていた。




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