No.267
2012/08/03 (Fri) 01:33:17
ある政治家を殺してほしい。
そう依頼してきた中年の男は、クレイジードッグの名声を知っていても、その姿を実際に見て不安を禁じえないようだった。
背丈に似合わない殺伐とした雰囲気を醸し、鋭い眼光をその目にのぼせて皮肉に笑う子供を、僅かに顔を顰めて観察していた。
躊躇う素振りはあった。
けれど、依頼を翻す事は無かった。
既に二度、暗殺に失敗しているのだと男は言う。
だからこその破格の報酬があった。
対象の顔写真を眺めながら、クラウスは少し眉根を上げる。
依頼主も、対象も、興味は無い。報酬にすら頓着しなかった。
クラウスにとって――クレイジードッグにとって、興が乗るかどうかの問題だ。
答えはYES。
二度の失敗を踏まえて、対象の警護は鉄壁と言ってもいい。その隙間を縫って、自分がその男を殺すのだ。
それは、面白い案件では無いだろうか。
綿密に計画を練る事はしなかった。クラウスにそんな頭は鼻から無い。
男の一日の予定を知るだけで十分だ。
クラウスはビルの屋上で、対象の乗る車が通りを走り行くのを、ただ見るだけで良かった。防弾ガラスの車が、三つ先の通りを行き過ぎるのを――ビルとビルの隙間に現れるのを、その瞬間を。
待って、三度、構えた銃の引き金を押すだけ。それだけで、同じ箇所を貫いた銃弾は、防弾ガラスなど物ともせず、対象の頭を貫いた。
走る車の同じ一点に、三つの銃弾をぶつける――クラウスのした事はそれだけで、依頼は簡単に遂行された。
激しいブレーキ音が聞こえるような気がした。
スコープ越しに見る遠い道路に、黒塗りの車が止る。窓に赤い血がこびりついているドアを、誰かが開けた。
クラウスは目を見開く。
見知った顔がそこにある。
記憶の中のそれより、厳しさを増した顔。
横顔だけだったが、クラウスが見間違う筈が無かった。
懐かしい記憶が蘇る。
今より幼い自分が、幼い狂犬が、兄と慕った人。
死体と化した対象の傷を探るように見て、振り返った。
目が合う筈も無い。
それでも、クラウスには聞こえた。
「クリス」
と、懐かしい名前を呼ぶ、捨てた名前を呼ぶ、彼の声が。
実際に、唇は動かなかったし、動いても、己の名を呼んだ素振りは無かった。
誰かに何がしかの指示を叫んで、その姿は消えた。
自分に、戦い方を教えてくれた人だ。拳以外の、力以外で示す、戦い方を教えてくれた――。
「……アントニオ」
零れた音は、何故だか掠れた。
そう依頼してきた中年の男は、クレイジードッグの名声を知っていても、その姿を実際に見て不安を禁じえないようだった。
背丈に似合わない殺伐とした雰囲気を醸し、鋭い眼光をその目にのぼせて皮肉に笑う子供を、僅かに顔を顰めて観察していた。
躊躇う素振りはあった。
けれど、依頼を翻す事は無かった。
既に二度、暗殺に失敗しているのだと男は言う。
だからこその破格の報酬があった。
対象の顔写真を眺めながら、クラウスは少し眉根を上げる。
依頼主も、対象も、興味は無い。報酬にすら頓着しなかった。
クラウスにとって――クレイジードッグにとって、興が乗るかどうかの問題だ。
答えはYES。
二度の失敗を踏まえて、対象の警護は鉄壁と言ってもいい。その隙間を縫って、自分がその男を殺すのだ。
それは、面白い案件では無いだろうか。
綿密に計画を練る事はしなかった。クラウスにそんな頭は鼻から無い。
男の一日の予定を知るだけで十分だ。
クラウスはビルの屋上で、対象の乗る車が通りを走り行くのを、ただ見るだけで良かった。防弾ガラスの車が、三つ先の通りを行き過ぎるのを――ビルとビルの隙間に現れるのを、その瞬間を。
待って、三度、構えた銃の引き金を押すだけ。それだけで、同じ箇所を貫いた銃弾は、防弾ガラスなど物ともせず、対象の頭を貫いた。
走る車の同じ一点に、三つの銃弾をぶつける――クラウスのした事はそれだけで、依頼は簡単に遂行された。
激しいブレーキ音が聞こえるような気がした。
スコープ越しに見る遠い道路に、黒塗りの車が止る。窓に赤い血がこびりついているドアを、誰かが開けた。
クラウスは目を見開く。
見知った顔がそこにある。
記憶の中のそれより、厳しさを増した顔。
横顔だけだったが、クラウスが見間違う筈が無かった。
懐かしい記憶が蘇る。
今より幼い自分が、幼い狂犬が、兄と慕った人。
死体と化した対象の傷を探るように見て、振り返った。
目が合う筈も無い。
それでも、クラウスには聞こえた。
「クリス」
と、懐かしい名前を呼ぶ、捨てた名前を呼ぶ、彼の声が。
実際に、唇は動かなかったし、動いても、己の名を呼んだ素振りは無かった。
誰かに何がしかの指示を叫んで、その姿は消えた。
自分に、戦い方を教えてくれた人だ。拳以外の、力以外で示す、戦い方を教えてくれた――。
「……アントニオ」
零れた音は、何故だか掠れた。
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