No.43
2009/12/15 (Tue) 02:06:29
私の身体は【毒】で出来ているのだと、いう。
流れる血潮、皮膚の一片、骨も内臓も、全てが、毒なのだという。
母の胎内に存在した頃より、その身を内から蝕んで。
酷く苦しみながら私を産み落とした母は、私という【毒】により、死んでいった。どす黒く染まった母の身体はすぐに死臭を放ち、やがて燃えカスのようにぼろぼろに崩れた。
呪われし赤子と呼ばれ、厭わしい存在として地下に隔離された。
私の命を奪ってしまえばそれで終わりであっただろう。例え突き刺した剣が傷をつける前に腐敗したとしても、毒薬の利かぬ身だとしても、ただそのまま放置してしまえば飢餓の末死ねる。栄養を取らねば絶えて行くのは命の理だ。
けれどそうしなかったのは、私の父。
王国を統べる偉大な王であった彼は、私に利用価値を見出していたのだろう。
触れるものをたちどころに腐敗させる私の手。他のどれよりも強い毒となる私の血肉。
蹴落とす者は幾らでも、湧き出る泉の様に父王の眼前に現われては、私という毒の前に滅んでいった。
さぞかし満足がいっただろう、父王よ。
小気味良い程簡単に、あなたの政敵は消えていくのだ。
あなたに逆らえば一族もろとも、街一つ、国一つさえ、一晩と経たず滅びいける。
私の血を一滴井戸に落とせば、その井戸水はけして清廉に戻る事は無い。私の血を吸った大地は、永遠の荒野となる。
人の形をした悪魔の息子は、あなたにとっての最高の武器。
けれど私の望みをあなたは知らぬ。
私の身体が触れるものは、すぐさま溶けて崩れてしまう。身体に巻きつけた包帯も、重ねた服も、毎朝着替えなければならない。夜眠る時には重ねられた羽毛の布団がいかに柔らかく感じられても、朝起きる度にそれは私の身体にくり貫かれて用を成さない。居住として与えられた地下の部屋さえ、時々石壁を溶かしてしまうから、部屋の一角から動く事さえ気を使う。暇を持て余す私の為に書物が与えられても、読み耽ってしまうと何時の間にか色がくすんで、やがて灰と化す。
固形の食事は口に食んだ瞬間にどろどろになってしまうから、最初から全てをすり潰して液状にされたものを飲み下すだけで、味も何もあったものでは無かった。どんなに珍しい食材であっても、目で楽しむ事も舌で楽しむ事も無い。
季節に合わせて変わるという花々も風景も、私にとっては本と絵画の中だけの事。私の世界は暗い地下だけで、地上に足を踏み入れた事は無かった。
私の世界に存在するのは、私の世話をする口の利けない老婆と、奴隷の青年ただ一人。そうして時々私の血を抜き取っていく初老の医師と父王。それらを警護する兵士数人。
その瞳には何時だって脅えの色が走り、私の心を虚しくさせる。
唯一私の存在を認めてくれたのは、父王だけだった。
「お前は私の最愛の息子」
抱きしめてくれる事が無くとも、そう邪悪でもある笑みを浮かべて言われる事が、私にとって何より嬉しい事だった。何故って私は父王以外の笑顔を見た事がなかったので、それがどんな意味を含んだ笑顔で言葉なのかなどという事を知る由も無かったのだ。
目に見えるものだけが鵜呑みに出来るものだったから、父王以外は私に脅え私を疎んでいるのだと、その態度から推し量るしかなかった。
例え身の内すべてが【毒】であっても、それに勝るのが血縁なのだと、私の知る物語は何時も希望を持って教えてくれた。
『愛は何よりも尊い』
私と父王の間のそれも、そういうものであるのだと信じて疑わなかった。
ああでもそれは、愛などという高尚なものでは無かったのだ。
父王が病に斃れ、存在も知らなかった弟だとかという青年がその後を継いだ時、彼は初めて私の前に現われて父王と同じ笑顔を浮かべて言ったのだ。
「愚かなる毒の王子よ。呪われた子よ。お前に残ったのは、最早死のみ」
なんと悪意に満ちた言葉。侮蔑の篭もった言葉。
私を見下ろす瞳の冷たさ。
伸ばした手を打ち据えた鞭の鋭さ。
「名も無き毒の王子よ。お前にあるのは、最早暗闇のみ」
全てを引き連れて、私を地下に残して、彼は消えた。
耳に残る哄笑は、ずっとずっと木霊する。
自刃でもしろというのか、残された一対の鉄剣は、触れた瞬間に砂のように崩れた。
私は毒の王子。
己より有用の武器を知らぬ。
ああ、私を見捨てた弟王よ。
私を暗闇に閉じ込めて、満足だろう。
このまま孤独に朽ちて逝けば、それで満足なのだろう。
お前には最早、私の【毒】は無用の長物。
けれど私の望みを、お前は知らぬ。
踏み締めた足元から、地面が歪んでいく。
どろり、と溶け出して形を変えて、地上へ向かう階段はただの黒い泥になる。溶けて変じて、混ざり合って、燃えカスのように崩れて。
伸ばした手の先、鉄の扉は異臭を発す。すぐさま穴を空け、私を外へと導いていく。
ずるり、ずるり。足に纏わりつく残骸を引き摺る。
次第に目の前が明るくなっていく。
私の望みを誰も知らぬ。
例えこの身が朽ちても構わぬ。
ただ一度、外の世界の美しさをこの目で、見てみたい。
私の知らない、美しい世界。
――。
見上げた空は限りない蒼。なんと清廉な心地良い風。かぐわしい花の薫り。暖かい日差し。色鮮やかな世界。
ああこれで。
私が知らないのは。
泣き方と、剣の使い方だけ。
――けれどそれは、私には必要の無いもの。
流れる血潮、皮膚の一片、骨も内臓も、全てが、毒なのだという。
母の胎内に存在した頃より、その身を内から蝕んで。
酷く苦しみながら私を産み落とした母は、私という【毒】により、死んでいった。どす黒く染まった母の身体はすぐに死臭を放ち、やがて燃えカスのようにぼろぼろに崩れた。
呪われし赤子と呼ばれ、厭わしい存在として地下に隔離された。
私の命を奪ってしまえばそれで終わりであっただろう。例え突き刺した剣が傷をつける前に腐敗したとしても、毒薬の利かぬ身だとしても、ただそのまま放置してしまえば飢餓の末死ねる。栄養を取らねば絶えて行くのは命の理だ。
けれどそうしなかったのは、私の父。
王国を統べる偉大な王であった彼は、私に利用価値を見出していたのだろう。
触れるものをたちどころに腐敗させる私の手。他のどれよりも強い毒となる私の血肉。
蹴落とす者は幾らでも、湧き出る泉の様に父王の眼前に現われては、私という毒の前に滅んでいった。
さぞかし満足がいっただろう、父王よ。
小気味良い程簡単に、あなたの政敵は消えていくのだ。
あなたに逆らえば一族もろとも、街一つ、国一つさえ、一晩と経たず滅びいける。
私の血を一滴井戸に落とせば、その井戸水はけして清廉に戻る事は無い。私の血を吸った大地は、永遠の荒野となる。
人の形をした悪魔の息子は、あなたにとっての最高の武器。
けれど私の望みをあなたは知らぬ。
私の身体が触れるものは、すぐさま溶けて崩れてしまう。身体に巻きつけた包帯も、重ねた服も、毎朝着替えなければならない。夜眠る時には重ねられた羽毛の布団がいかに柔らかく感じられても、朝起きる度にそれは私の身体にくり貫かれて用を成さない。居住として与えられた地下の部屋さえ、時々石壁を溶かしてしまうから、部屋の一角から動く事さえ気を使う。暇を持て余す私の為に書物が与えられても、読み耽ってしまうと何時の間にか色がくすんで、やがて灰と化す。
固形の食事は口に食んだ瞬間にどろどろになってしまうから、最初から全てをすり潰して液状にされたものを飲み下すだけで、味も何もあったものでは無かった。どんなに珍しい食材であっても、目で楽しむ事も舌で楽しむ事も無い。
季節に合わせて変わるという花々も風景も、私にとっては本と絵画の中だけの事。私の世界は暗い地下だけで、地上に足を踏み入れた事は無かった。
私の世界に存在するのは、私の世話をする口の利けない老婆と、奴隷の青年ただ一人。そうして時々私の血を抜き取っていく初老の医師と父王。それらを警護する兵士数人。
その瞳には何時だって脅えの色が走り、私の心を虚しくさせる。
唯一私の存在を認めてくれたのは、父王だけだった。
「お前は私の最愛の息子」
抱きしめてくれる事が無くとも、そう邪悪でもある笑みを浮かべて言われる事が、私にとって何より嬉しい事だった。何故って私は父王以外の笑顔を見た事がなかったので、それがどんな意味を含んだ笑顔で言葉なのかなどという事を知る由も無かったのだ。
目に見えるものだけが鵜呑みに出来るものだったから、父王以外は私に脅え私を疎んでいるのだと、その態度から推し量るしかなかった。
例え身の内すべてが【毒】であっても、それに勝るのが血縁なのだと、私の知る物語は何時も希望を持って教えてくれた。
『愛は何よりも尊い』
私と父王の間のそれも、そういうものであるのだと信じて疑わなかった。
ああでもそれは、愛などという高尚なものでは無かったのだ。
父王が病に斃れ、存在も知らなかった弟だとかという青年がその後を継いだ時、彼は初めて私の前に現われて父王と同じ笑顔を浮かべて言ったのだ。
「愚かなる毒の王子よ。呪われた子よ。お前に残ったのは、最早死のみ」
なんと悪意に満ちた言葉。侮蔑の篭もった言葉。
私を見下ろす瞳の冷たさ。
伸ばした手を打ち据えた鞭の鋭さ。
「名も無き毒の王子よ。お前にあるのは、最早暗闇のみ」
全てを引き連れて、私を地下に残して、彼は消えた。
耳に残る哄笑は、ずっとずっと木霊する。
自刃でもしろというのか、残された一対の鉄剣は、触れた瞬間に砂のように崩れた。
私は毒の王子。
己より有用の武器を知らぬ。
ああ、私を見捨てた弟王よ。
私を暗闇に閉じ込めて、満足だろう。
このまま孤独に朽ちて逝けば、それで満足なのだろう。
お前には最早、私の【毒】は無用の長物。
けれど私の望みを、お前は知らぬ。
踏み締めた足元から、地面が歪んでいく。
どろり、と溶け出して形を変えて、地上へ向かう階段はただの黒い泥になる。溶けて変じて、混ざり合って、燃えカスのように崩れて。
伸ばした手の先、鉄の扉は異臭を発す。すぐさま穴を空け、私を外へと導いていく。
ずるり、ずるり。足に纏わりつく残骸を引き摺る。
次第に目の前が明るくなっていく。
私の望みを誰も知らぬ。
例えこの身が朽ちても構わぬ。
ただ一度、外の世界の美しさをこの目で、見てみたい。
私の知らない、美しい世界。
――。
見上げた空は限りない蒼。なんと清廉な心地良い風。かぐわしい花の薫り。暖かい日差し。色鮮やかな世界。
ああこれで。
私が知らないのは。
泣き方と、剣の使い方だけ。
――けれどそれは、私には必要の無いもの。
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