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No.133
2010/12/01 (Wed) 04:27:10

[ 洋画(ルワンダ) /  民族紛争 ]

ホテル・ルワンダに続き、1994年のツチ族とフツ族の虐殺のお話。

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前回のホテル・ルワンダ観賞から、もう少しこの背景が見たくて借りた映画です。

前回がルワンダ国民側から見たお話で、今度は海外から先生しに来た青年のお話。何故戦争が起こったのかとかツチ族フツ族間の根深い対立模様、嘆きや悲壮さが強かったホテル・ルワンダに比べると、ちょっとは軽い感じに仕上がってたと思います。
ただその場にいるのに何も出来ない無力さというか、そういうのを感じながら出来る事を成そうとしていたジョー(ジョン?)が、次第に恐怖に飲まれていく様がリアルでした。

「神様は何処にでもいる。ここにいてみんなと苦しみの中にいる。」

耐え切れず最後は戦場を後に、慕ってくれたルワンダの少女を置いて逃げる時。
一人残った神父がジョーに言った、上のような言葉が印象深い。
私から見てそこにいた神様は、誰でもない神父本人でした。そしてジョーでもあった。何かを成そうとした人皆が神様のようで、苦しみや哀しみを分かち合おうとしてそこに存在した一人ひとりも、やはり神様でした。
神様なんて本当はいないのかもしれない。少なくとも死から救ってくれるわけでも、苦しみや悲しみを取り除いてくれるわけでも、不条理を罰してくれるわけでも、守ってくれるわけでもない。何処にでも、誰の頭の中にでもいても、実際には存在しない。概念でしかない存在。
それが救いにもなり絶望になる。
でも人が救いを求める時、確かに救ってくれる存在がいます。それは人です。その時のその人を神様と呼んでいいんじゃないかと思う。

それにしても、戦争と祭りを同じもののように表現したり、喧嘩と祭りもそんな風に言われたりということがままありますが、ふとその通りだなと思わされた映画でした。
何ていうか、集団でわいわいハイになって騒いでいると、感覚が麻痺したりヒートアップしたりして、やりすぎる事ってあるじゃないですか。そんな感じ。
ルワンダの言葉で手をたたきあって歌い合うようにして、まるで祭りでもしているように見えた民兵が、次の瞬間には恐ろしい殺人に興じている。

祭りが終わって冷静になった時、殺戮者たちは一体ナニを思ったのだろう。

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